江戸生まれ、東京育ちの伝統和食「東京二八そば」に関する調査を実施。

大晦日に一年を締めくくる “年越しそば” 。「一年の災厄を断ち切る」・「一年の労をねぎらう」といった験担ぎ・縁起ものの謂れ

企業の最新情報や、ユーザーへのインタビューなどを通して、トレンドを追跡するプロジェクト『トレンドラボラトリー』は、江戸生まれ、東京育ちの伝統和食「東京二八そば」に関する調査を、12月都内にて20代~50代の男女50名を対象に実施。
また、2021年12月22日(水)、日本橋コレド室町テラス広場にて、東京都麺類協同組合が開催した、東京二八そばによる「年越しそば」の一般向け試食会に参加し、本場の東京に八そばを実食。

トレンドラボでは、東京二八そばに関する質問を、20代~50代の男女へ聞いてみました。

Q. 
この花は、何の食べ物の花でしょうか?

答えは、「そばの花」です。
この質問に正解した人は、1割に満たなかったです。
私たちが、普段食べている美味しい「そば」は、そば畑から作れているのです。

Q. 二八そばの由来は?

【二八そばの由来と特徴】
・そば粉8、小麦粉2の割合から「二八」と言う
・江戸時代に16文であったそばからとって(2×8=16)「二八」と言う

二八そばの由来については、
7割以上の方が正解を言い当てるなど、日本人とって、「そば」は馴染み深い食べ物であることを感じさせる結果であった。

Q. 日本で、「そば」が初めて登場したのはいつ?
この質問には、ほとんどの人が正解を答えられなかった。

日本に「そば」が伝わったのは3000年前で、その起源は「中国雲南省」からといわれている。
日本史で初めて「そば」が登場するのは7世紀奈良時代、「続日本書紀」にて記録されている元正天皇の「勧農の詔(みことのり)」に救荒作物としてそばが登場している。
「そば」は米や麦よりも古来から食べられている穀物だったと言えます。
だから私たちには、「そば」を食べるDNAが受け継がれています。
お米と同様に、「そば」を食べると、ほっとするのは、遠い昔からの日本食であるからかも知れない。

では、「二八そば」が登場したのは、いつだったのだろうか?
それは、江戸中期前に、「そば」のブームが到来した時に登場したと言われている。
江戸時代中期には、「そば」は広く普及し、店舗型から、移動式屋台まで、3000店舗以上のそば屋が江戸の街のいたるところにあったと言われている。
「江戸の人々は忙しい」、だからこそ、麺が細く長く箸で食べやすいサッと食べられる「そば」が流行した。
また、江戸の周辺には、「そば」の産地がたくさんあったことで、「そば」が繁栄していった。
江戸で生まれた「二八そば」は、小麦粉2、そば8で作られた、薄茶色で、のどごし・風味を味わえる黄金比率として親しまれていました。
そばつゆは、百店百味であると言われ、江戸時代からのそば屋が受け継がれながら現在の東京のそば屋さんがあります。

東京には、「東京二八そば」が食べられるお店が、500店舗以上あります。
是非、1店舗1店舗にしかない、そこにしかない“味”を堪能しに、行ってみるのも良しかと。
東京にある“粋”を感じるとともに、一年の最後に、最高のお蕎麦を。

そして、大晦日に一年を締めくくる “年越しそば” 。「一年の災厄を断ち切る」・「一年の労をねぎらう」といった験担ぎ・縁起ものの謂れがあります。東京二八そばを提供する専門店による、江戸時代から続く “職人技” と “粋” を味わうとともに、新年に向け、東京二八そばで。

トレンドラボラトリーでは、日本の伝統和食である「そば」に関する理解や関心を高めることを目的とし、「東京二八そば」に関する調査を実施。

この度、調査結果を情報として発表しました。

日本には、たくさんの伝統と文化があります。そして、私たちの「今」があるのは、「過去」があるからこそです。

これまでに培ってきた伝統を大切にし、そして、何よりも大事な「未来」を築いてほしいと、トレンドラボでは願っております。